はじめまして。
株式会社アベシンの代表・阿部信之と申します。
アベシンとはどんな会社なのか、その歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。弊社について少しでもご興味をお持ちいただければ、幸いです。
ちなみに名前の由来は、創業者・阿部信司から阿部信=アベシンですが意味として、ア~ン迄(AtoZ)の意味です。
アベシンの始まりは50年以上前にさかのぼります。その当時、私の父で先代の社長が、当時は家庭に届けられるのが通例だった「瓶の牛乳」を、駅などの売店で飲めるような手軽なスタンディングスタイルとして社会(市場)に提案。それが全国的に受け入れられて大きな販売につながったのがきっかけでした。
その後、複数社のメーカーからお声を頂くまでになりました。
まさに産めよ増えよの時代に、たくさんの汗を流して、どんどん全国への販売網を広げていった時代でした。といっても、私はまだ10才になったかならなかったの頃です。
お風呂屋さん(銭湯)の脱衣所で腰に手を当て、牛乳をグイ飲みしていました。
牛乳瓶の販売網から生まれた「紙コップのアベシン」それは、東罐興業(とうかんこうぎょう)さんという紙コップの製造メーカーから、アベシンの販売網で、「紙コップ」を広げてくれないかという相談を頂いたそうです。
当時は、まだ紙コップはあまり日常的には使われていない時代でしたから、かなり先進的な取り組みを東罐興業さんは始められていたと思います。
だって、例えば当時あった紙コップって「水を入れたら漏れるから早く飲んで!」と言われながら使っていたんですからね。(笑)
初期の紙コップは紙をノリで貼っていましたからね。
でも、例えば牛乳の業界も瓶から、あの有名な三角牛乳なんかが出始めて「これからは紙で飲む時代が来る」と、時代の先を先代社長は紙コップに感じたそうです。
当時は東京オリンピックの五輪景気に沸いた正に高度成長の真っただ中の頃ですからね。
そんな流れから、紙コップに飲み物を注ぐスタイルが日本に広がると予見し「紙コップのアベシン」が誕生したそうです。
自販機の飲み物って、今でもありますよね?
高速のインターチェンジなどで紙コップが「カパッ」と出てきて、自動で挽きたてコーヒーを入れてくれたりする自動販売機。
その初期モデルはコーラとかファンタとかが飲めたんですよ。
50代前後ですと子供のころに飲んだことがある人も多いと思いますよ。
これらが大手企業などでも受け入れられて、アベシンは、全国の多様な業界に紙コップの販売網を広げていったそうです。
その頃には東罐興業さんの最初の代理店となり、常に全国5社に選抜され、紙コップの市場では他社との競争には負けない、価格力と販売力を持つまでになっていました。
例えば、今でも駅中にあるミキサーの生ジュースの販売スタイルなんかも当時の「日冷スター」という冷凍技術を持った会社にお願いし、昔の神田市場(今の太田市場)で熟したフルーツ(みかん、バナナ、苺など)を冷凍にしてもらい「フルーツジュース」を客先へ提案して、紙コップをつかった商売を広げて行きました。
そういえば当時のお店が、今でも新橋の地下にあって、昔ながらのオレンジのストライプの紙コップをつかってジュースを出しているそうです。
その他にも今では当たり前の「採尿容器」としての、紙コップを医療分野に広げたのもアベシンです。
又、水飲み用として”足”でレバーを踏むと冷水の出る「口飲み冷水機」がありましたが、不衛生として「紙コップ」を使用する形式にどんどん変えるようにし、「衛生」という基本活動も忘れません。
当時、販売網は札幌から沖縄まで広がりました。
この時培った全国への販売網は、今では、営業所となってアベシンを支えています。
その頃に 私も新人社員となり、「まずは製品を覚えろ」なんて言われて、仕事を教わっていました。
そうこうしていましたら時代は変わり、昭和も終わろうとするころ。
紙コップの代理店も増えて、更には海外からもいろいろな製品が入ってくるようになりました。
紙コップだけ見たら価格では、いつか、かなわない時代が来る。と感じたところがありました。
また、海外資本の大手チェーンなども日本に増えていました。
そういったチェーン店は母国の製品を使うことも多く、いろいろな角度から競争がコップ業界の常となった時代でした。
その頃、この業界で競争に勝つためには「コップだけ」ではなく、もっと「総合的包装資材」で、他社に負けない商品を扱えるようにしなければならない。
そう考えて、箸や紙おしぼりの他、大手紙メーカーの紙タオル代理店、プラスチック(化成品)メーカーのパックや弁当容器なんかにも広げていきました。
以前から、ストローと紙コップの一部は韓国から輸入していましたが、2008年、当時は私が専務になった頃でした。
業界の競争が日に日に激化して、仕事は取り合うのが当然になっていました。
海外製品は韓国などからも入ってくるようになり、驚くほど安い製品(但し悪かろう)も市場に出てきた頃でした。
競争激化の時代に合った競争力をもったアベシンをつくって行こう。
そのように考え、海外勢に価格の対抗できて安心な商品を実現しようと、韓国に自社の製造工場の設立を試みました。
いや、初めは製品を委託できる工場を海外に作ろうと思ったのですが、これがなかなか、衛生的な問題や「製品」に対する感覚的な違いというか、清潔・安全な製品を届けることがどうにも出来なくて・・・本当に苦労しました。
それであれば自社で工場をやろうじゃないか。ということで、一念発起、韓国の協力者の助けもあり、「アベシンが望む製品」を製造していきました。
それから(10年して、)その工場は閉めることとなったのですが、当時、想像以上に国民性の違いに悩まされる中で「為せば成る」と熱い気持ちで海外工場を動かしていました。
また、製造(工場)する事の心・技・体を(心は感謝、技は常に創意工夫、体は健康)学び、今、各メーカー様の苦労が分かり、「クレームの対応」「感謝」の上にもお客様を含め「win win」な対策、解決への心を持たせてもらいました。
※販売だけではなく、商品を通じて、製造者/使用者の両方を繋ぎ「感染対策」の基本として大切な役目を持っている。と今「コロナ渦」にあり、強く使命感を持っています。
海外工場に挑んでいた時に、もう一つ考えていたことがありました。その頃、実は紙コップ以外の容器の相談を頂くことが多くなりました。
しかし、紙コップは他社には負けない自信があったものの、それ以外の容器となると提案はするけれども、結果的に競争に負けることもあり、何度か悔しい思いをしていました。
「なんでウチは紙コップだけなの?」
という思いと同時に、これからの時代を勝ち抜くためには、もっと幅広い包装容器資材の(自社製品として扱う)必要があると実感したのです。
実際に、幅広いメーカーの製品を企画制作するようにしました。しかし、ただ、商品の幅を広げただけではダメだと考え、以下の2つを守るようにしました。
一つは、私たちアベシンが、これまで紙コップを扱う事で培った目利きを生かし、信頼して頂ける製品をお客様へ提供すること。
もう一つが、お客様と会って、話を聞いて、それから提案するということ。(やっぱり人と人が大事ですから。)
「お客様の要望をお聞きして、そこに応えられる製品を提案すること」
これを真剣に繰り返していましたら、結果的に幅広い製品を扱っていました。
また、徐々に自社の製品や特許なども増えてきまして、今では、食品用包装容器なら、なんでもご相談ください!と言えるようになりました。
このような歴史があって、アベシンは現在、紙コップはもちろん、紙皿、紙おしぼり、紙ストロー、紙バックなどなど、紙素材を主力にいろいろな製品を取り扱(っています。)うようになりました。
近年は、改めて「お客様に合った提案はもちろん環境やコストをふまえて本気で考えること」がアベシンのこれからの姿なのでは無いかと実感しています。
例えば、紙コップ一つでも、